知恵の日記『叡智やまぬ』

      アフリカのジンバブエ、チョベ川の像 2006/1/7(土)   『リリー・フランキーの「東京タワー」を読んで・・・』

この本を読んで、既にスタッフの彼氏が家族に贈ってあげて2冊も売れています(笑)とにかく、フランキーのオカンが胃がんで亡くなってしまう実話であり、家族愛を描いた本で、電車の移動中、ビービー人目を気にせず、号泣しちゃいました。私も頑張りましたが、やはり、オカンを看取るのが一番恐れていた瞬間であり、穏やかに逝かせてあげたいと矛盾する想いが、交差する瞬間でした。

ニライカナイの場合は、まだ、店で母親が亡くなってるというスタッフが私以外いません。母が元気だった頃、スタッフのお父様が亡くなられ、絶句してしまい、どう言葉をかけてあげていいのかも、わからず頭が真っ白になったことがありました。まず、自分が経験しないと心からの言葉を掛けてあげれないなぁ〜と実感したことがあります。人を思いやるにも経験をして初めてわかることが多いです。この本は疑似体験かもしれませんが、家族に、悲しみにくれた人に、やさしくなれる本です。

けっこう前半は笑いあり、後半は涙涙です。オカンのように深く思いやれる心を持ちたいって思っていたら、マザーテレサのペンダント・ヘッドがスタッフのお土産で、手に入りました。 母が亡くなり、これからは、ご縁のある方に何かできたらと思っています。


2009年に『リリー・フランキーらしき人が・・・』お店にいらっしゃいました。
そっくりさんかもしれませんが
・・・(笑)

『マイナスをプラスに変えたら後は強いです!』


距離があろうとなかろうと、幸せを思う気持ちは届きます。どんな相手にも届きます。きっと人が幸せを感じる量も、傷ついたり、我慢する量も、同じかもしれません。自分は苦労が多いって人は、もしかしたら、後で楽が待っているかもしれないので、むしろ、神様から祝福をされているのかも・・・と思い直すと、必ずいい事が降りてきます。小さい頃から、挫折が多い人は、打たれ強くなるでしょう。

我慢するのは辛いことですが、我慢は『我が慢心すること』だそうで、傲慢になるらしいのです。屈辱を受けた、メンツを潰された、プライドを傷つけられた、自分の意見や提案を聞いてもらえなかった・・・そんな事から始まる我慢って多いと思います・・・でも我慢させた側も我慢した側も傲慢だったんじゃないでしょうか?どちらが悪いもなく、地を出しちゃったら合わなかったとか、どちらか大人の方が折れてみたりで、解決するんじゃないでしょうか?かぶった人は、それだけのものが帰ってきます。戦ったり、逃げたりするよりは、我慢したことによって、自分のやりたい道がハッキリして、自分でやり始める人もいるでしょう。気持ちよく離れられたら、ベストですよね。もしくは、それ以外、何も問題がなければ、感じなくなるのもいいですよね。相手が変わるまで待ってみるとか・・・失った分、気づくことも多いので、去った人も去られた人も、次に繋げればいいのではないでしょうか?それで○です!ただし、体がおかしくなるまで我慢するくらいなら、キッパリ別れた方が懸命です。疲れすぎる前にベストな判断がいいですが、ボロボロもかなり学びが多いので、どちらもお勧めです。ただ、非情な場合は、例外と思います。マイナスをしっかりマイナスと捉え、プラスに転換していく決心が必要です。自分に正直になれば、答えは簡単だったってことに気づくでしょう。

2006/1/1(日)     『今年も宜しくお願いします!』

去年も1年間ありがとうございました!去年はニライカナイも外装工事でビックリする位のどんでん返しがあり、ヒューザー並みのドタバタ劇が、私達をさらに強くしてくれたように思います。HP担当者の私も母の死を悲しむ暇もない日々でした。
ドタバタが落ち着いた翌日、母が夢に出てきました。半分起きている自覚はあったのですが、後光が射している母が降りてきて『よく頑張ったねぇ〜怖かっただろう・・・気を送ってあげるよ。』と、両手を握ってくれて、人生で初めての凄いパワフルな、それでいて優しく暖か〜い気を送ってもらいました。私はずっと笑みを浮かべながら、ふあぁぁぁ〜と、気を貰っていました。あまりにも嬉しくて、その日以来、以前よりさらに、元気になってます。母はずっとニライカナイも含めて、ずっと見守ってくれているんだなぁ〜と確信できました。それ以来、信じられない位、自分の夢がまた、ハッキリとしてきましたし、本当の自分がパカッっと蓋が開いた感じで楽な自分になりました。

去年の2月に阪神大震災で壊れなかった古時計が、突然落ちてしまい、ずっと地震以来、錆びて動いていなかったのが、ゼンマイも回さずにスタッフが触ると急に動き出すって不思議な現象がありました。私も時計を持った時、なぜか『浄化』って言葉が浮かんだのですが、その母の夢まで、どうやら浄化はずっと続いていたようです。今は落ち着いて、以前のように、穏やかで笑顔いっぱいのニライカナイになってます(笑)そういう意味で、感謝の気持ちでいっぱいの1年でした。


本当の自分の思うがままに動いてみた先に、どんな未来が待っているのか、繋がっていくのか、辿り着くのか?まだ将来に向けて準備が整っていないかもしれません。将来のために何かを始めるのに最適な時期が今、来ているのではないでしょうか?今年は皆様にとって、どんな状態でも、1つ1つ積み重ねて形にしていく、そんな1年になりますように!希望を持ち続け、どんな状況でも行動に移すことができた人には、想像以上の結果が待っているでしょう!でも、私が言うのもなんですが、辛い時、疲れた時は、自分にご褒美を!

2005/1/22(土)    『手当療法

昨年いらした女性のお客様達が『イギリスで留学中、ニライカナイさんのホームページをたまに読んでは、励まされていたんですよ!』と言って下さって、私達のほうが励まされた事がありました。その頃、全く更新していなかったので、『なるべく早目に更新します!』とお約束したにも拘わらず、去年は、担当者の親が入院となり、看病疲れで、あっという間に年を越してしまいました。今年は、こんな薄情な日記でも楽しみにして下さっている方々のためにも、この数ヶ月いろんな事がありましたので、ちょっとづつ、出来事を書いていきたいと思っています。(入院騒動のちょっと前から、イヤ、ずっと前から繋がっていた出来事なんですがネ・・・)

9〜10月は、慣れない事務があって走り回っていました。お隣の中華惣菜屋の美心(マシム)さんのお兄さんがオーストラリアに留学に行ってしまうということで、お別れに飲むことになりました。店で一番古い私が代表で付き合う事になったのです。こちらの時間に合わせてもらったてまえ、お兄さんの家の近くの飲み屋に行く事になりました。ちょうどその時、この辺りで1度だけ行ったことのあるBARを思い出しました。もともと今、沖縄の姉妹店アガリイリにいるスタッフのS野が行ってたLAZY BONES(怠け者という意味)という名前のこのBARで、働き者のマスター伊藤周平さんという方はたまに昼間、ニライカナイでS野に足つぼをやって下さったり、夜は彼女が飲みに行くと手当療法をしてくれていました。そのマスター周平さんをS野が私に紹介してくれたのは2003年の夏でした。


2002年末頃から入院していた私の母は、乳ガンから十数か所転移していて、胸がガンでとけてしまい広範囲に出血していました。(乳ガンで皮膚まで浸潤し肉が剥き出しになっていてお医者様からは、『そのうち骨が見えてきますよ』と言われていました)食事療法や私なりのオーラブラッシング等で効果があったかわかりませんが何でもやってきました。やっと1年ぶりに何とか皮膚がふさがり、ホッとした矢先に、私の手のひらが荒れ出し、施術が出来ない程のひどさでした。邪気を吸ってしまい体内から出し切っていなかったのが一気に手から噴出した感じで・・・見かねたS野が、ヒーラーでもある修平さんのBARへ連れて行ってくれました。

満月のようにつるっとした真ん丸のお顔の周平さんは、無言で手をかざしてくれました。母の病状にも話がおよび、勝手に1回で治ると思ってしまった私は、当分手荒れが変わらずで、『また飲みに来ます!』と帰り際、言ったわりに、そのままになっていました。ニライカナイから私の家とは、逆方向のBARだったので、延ばし延ばしにしていたら1年半が過ぎていました。

そのBARを思い出して行くことにしました。この日もお名刺を頂いたのですが・・・お名刺には手当療法による整体と癒しと書いてあり、私はまだBARの名刺は見たことがありません(笑)自分もヒーリングのコースをオリジナルで作るキッカケとなった方のお一人です。        


2005/1/1(土)    『明けましておめでとうございます!!』

皆さん!お元気でいらしゃいますか?昨年は異常気象や戦争やテロが続き、世界中で家を失った方が多く、自分としては少しでも働いて募金でもできればと年末年始も開けていましたが大晦日の雪で中華街も静かでした。お正月も生きる事でやっと・・・というギリギリ生活の方には逆にこの日記の声は今届かないかもしれません。でも、この久々の日記を読んで下さっている方はきっとパソコンをお持ちの方も多いでしょうから、今年はそれぞれの役割をしっかり働いて、世界やお隣の町で生活がままならない方々に何か役に立つことを意識して生きていけたらいいですよね。役に立つと思ってダメな事も時にはあるでしょう。でも、次の人はとても必要だったかもしれない・・・そう思って体感し学ばせていただきながら前に進んで行きたい年にしていけたらいいですね。 どんな試練が待っているかわかりません。一歩一歩かもしれませんが不器用でもいいから皆で協力し合える助け合いの年になるといいですね。穏やかで平和な年に・・・

新潟をはじめ募金活動を地道ではありますが店内でやってきました。オープンからずっとやってきた募金箱を今回初めて国外に使っていただこうと思いスマトラ沖地震の被災された世界中の方に微力ではありますが送る事にしました。今月中、ぜひご来店の方はスタッフに声を掛けて頂けたらユニセフの募金箱がありますので、ご協力宜しくお願いします!責任を持ってユニセフへ振り込ませて頂きます。

個人的ではありますが、食事療法をしていた末期ガンの母が、昨年から玄米やモズク、ひじきに飽きてしまい体が受付けず、少し元の食事に戻ってしまいました。一緒に暮らしていないのもあり、とうとう膀胱と輸尿管の辺りに転移し、浸潤が始まり、秋には水腎症(尿の出が悪く腎臓が肥大化してしまう病気)になってしまいました。あんなに胸の浸潤がきれいに皮膚でふさがってきてたのに残念ですが、吐き気がするほど食べられないという事で,私も食事療法はあきらめていました。ただ私には水腎症のことは母は隠していました。昨年の10月末から一気に食事ができず、10日間水分もほとんど取れず、歩行も困難になり・・・意識を失い顔面を強打し、11月3日に救急車で運ばれて緊急入院になりました。今は、普通の食事であれば、体が受け付けてくれていますが、車椅子の日々で、毎日、病院で歩行練習を笑顔でやっています。

今年も色々な出来事があると思いますが、正直に感じて生きていけたらと思っています。今年も
気長に宜しくお願いします。